澄み切った秋晴れの空が高く見えるのは、
空気が乾燥し、気温が 低くなって上昇気流が起こりにくく、
空気中の細かいチリを減らす働きをするので、
空気が澄んでいて空が高いところ まで見通せるようになり、’空が高い’と感じるそうだ。
それまで高度が低く
感覚的な空の高さを押し下げていた積雲から
「すじ雲」「さば雲」等、比較的高度の高い雲により、
さらに感覚的に高さが変わる。
『天高く馬肥ゆる秋』
昔から秋空を仰ぎながら、それぞれの思いで冬に備えてきたのだろう。
金沢の秋は短い。
澄み切った秋晴れの空が高く見えるのは、
空気が乾燥し、気温が 低くなって上昇気流が起こりにくく、
空気中の細かいチリを減らす働きをするので、
空気が澄んでいて空が高いところ まで見通せるようになり、’空が高い’と感じるそうだ。
それまで高度が低く
感覚的な空の高さを押し下げていた積雲から
「すじ雲」「さば雲」等、比較的高度の高い雲により、
さらに感覚的に高さが変わる。
『天高く馬肥ゆる秋』
昔から秋空を仰ぎながら、それぞれの思いで冬に備えてきたのだろう。
金沢の秋は短い。
東山のよく行く花屋さんにはお土地柄、お茶花が多い。
店頭に艶やかな花に混ざって質素で美しい花がさりげなく並べられている。
にこやかなおかみさんから行く度に沢山の花の名前を教わってきた。
黄色く透き通るロウの様な『ロウバイ』はよくあるけれど、この『クロハナロウバイ』は近所の壁越しにスケッチしたもの。そのドライフラワーの様な花姿が印 象的。
金沢を歩いていると花を多く見かけるので山野草を描く様になったのだけど、昔から畑をしているお宅は毎日家に生ける花も育てているのが素敵だ。
娘の故郷はここ、金沢。
彼女はそれをとても誇りに思うと言う。
春には兼六園の桜を乳母車から眺め、
毎朝東の廓を通って幼稚園に通ったときから、
四季折々のお祭りに参加し
石畳と格子窓の風景を見ながら育ってきた。
都会にも憧れるけれど、情緒ある町並みが落ち着くそうだ。
毎年旧暦の7月9日にあたる日に
東山1丁目の『観音院』で行われる『四万六千日』お参りで
ご祈祷済みの’とうきび’を求めて玄関に吊るす家がちらほらみうけられる。